この度の石川県能登地方を震源とする地震により被害にあわれた皆様に謹んでお見舞い申し上げます。 被災地の皆様が安全を取り戻し、一日も早い復興を心からお祈りいたします。
3月に高知県から能登半島地震に関して、福祉チームの災害派遣の要請があり、土佐香美福祉会から4名の職員が派遣されました。派遣先は震度7を記録した石川県輪島市、津波被害こそなかったものの、現地に足を踏み入れると言葉を失う様な光景が広がっていました。
ニュース映像で流れていた輪島の朝市ですが、震災前は輪島市の新鮮な魚介類や、漆器で有名な輪島塗が流通する商業の中心街と聞きました。しかしながら私たちの目の前に広がっていた景色は、あたかも戦争が終わった後のような風景で、すべての建物が地震による二次災害の火事で消失し、震災から2か月が経過した時点でも焦げ臭いが漂っていました。
その輪島朝市から歩いて5分ほどのところに、私たちが支援に入った避難所の小学校があり、被災された方々約130人が体育館で避難生活を送られていました。すでに自衛隊やDMAT(災害派遣医療チーム)、岐阜県DWAT(災害派遣福祉チーム)の方々が支援に当たっており、避難所自体は落ち着いている状態でした。
そんな中、私たち高知県DWATに求められる役割は日々変更を重ね、避難所体育館で自分たちの立ち位置を確立させることも困難な中、避難所で生活を送っている方々の健康状態の確認や、身体的精神的二次障害の予防、そして今回の大きな役割として、被災者を次の生活へつなげるための情報収集とアセスメント(評価)、特に要支援者の生活全般のアセスメントを、輪島市に報告することを行ってきました。
避難所では被災された方々とたくさん会話を重ね、わずかな時間でも前向きに過ごしていただけるように心がけてきました。被災されている方々の心の傷は計り知れないものがある一方、支援に入った私たちに明るく振舞ってくださったことが強く心に残っています。
高知県DWATが立ち上がって初めての支援活動に参加させていただいたことは、このかけがえのない経験値を次に引き継いでいかなければならないと感じました。
また土佐香美福祉会が重点目標としている「災害派遣チーム(DWAT)育成」に基づき、さらに多くのチーム員の養成を重ねていく事の重要性、さらには私たち土佐香美福祉会が、この高知県で災害発生時に担う役割について考える機会になりました。
今後も高知県DWATと協力しながら、今後30年間の発生確立が70%~80%と予測されている、南海トラフ地震に対する「備え」を進めて参ります。